新しい扉を開こう
自分の中だけにある扉を
もっと楽しく もっと自由に もっと豊かに
コミュニティの中に
次世代に繋がる まだ開かれていない扉がある
看護師という職業を通しての学び
1990年代、病院での死を看取る中で、「本当にこういう最期を望んでいただろうか」という疑問を多く残しました。耐えている姿、言いたいことも言えない。限られた時間、もっとわがままを言っていいはず、と看護師としてもジレンマを感じることが多くありました。
私はその後、自宅で最期を迎えたいという方の希望が叶えられるように、仕事のフィールドを地域に移し、地域看護、訪問看護について学びました。
在宅での看取りは、病院とは大きく違っていました。住み慣れた我が家で過ごすことは、それだけで苦痛の緩和に繋がります。家族の声、住み慣れた家の匂い、見慣れた景色。愛犬がそばにいれば、睡眠薬がなくても眠れます。亡くなる当日まで自力でトイレに行き、沢山の表情を見ることができます。家族が見守る中で旅立たれる姿は、日常生活の延長線上にありました。
私はこれまで、訪問看護を通して200人以上の方の看取りを行いました。看護師としてできることを、病院では得られなかった充足感を、少し前までは、感じられていたのではないかと思います。
しかし、地域でもまた、様々な葛藤を感じるようになりました。現在の医療、介護、福祉の体制の中では、在宅で療養し看取ることがそう簡単ではないと感じることも多くあったのです。特に、医療依存度の高い方や、主となる介護者がご高齢であったり、日中はご家族も仕事があるため、一人の時間できてしまう。ご本人はそれでも家に居たいと思っても、ご家族の心配が大きくなる。これからますます超高齢社会が加速する中、一人暮らしの方も増えてきます。社会の体制やマンパワー不足など、医療や介護の体制、既存のシステムだけでは限界があることを改めて考えました。
在宅での看取り「これで良かった」とは考えられなかった思い
私は、病院でも在宅でも「せめて死に場所くらい、ご本人の希望を叶えられるようにしたい」という思いがありました。しかし、希望する自宅で療養し、安心して死が迎えられる場所を作るだけで良いのだろうか、という思いと共に「何も思い残すことなく旅立つことができただろうか」という投げかけが、頭から離れなくなりました。
「最後の瞬間まで、生きることを支援する」そのことが看護師の役割であり、決して死を待つのではないという気持ちで関わる中で、生を全うして旅立つためには何が必要かを考えるようになりました。
「死」に焦点を充てるのではなく、もっと「生きている時間」を自分らしく、豊かに過ごすことを考えたい。と思いました。そのことが、きっと病気や苦痛の緩和にも繋がるからです。
人生100年時代、いくつになっても「自分らしく、豊かに過ごす」ために必要なことは何かと考えた時、コミュニティの中で皆が集い、癒され、自分を発見し表現していける場所を創りたいと思いました。
地域の中では、「迷惑をかけないように」と遠慮がちに過ごしていたり、本当にあと少し声を掛けてくれる人がそばにいれば、もっと活動できるのに、と思う方が沢山いらっしゃいます。
世代を問わず、0歳から最高齢の方皆が居られる。家族の形態も変化する中、介護が必要になったら皆で、子育ても地域皆でできるように繋がる場所です。そして、その中で皆に祝福されて旅立てる場所があれば、人生の卒業式として、当たり前のように死を受け入れられるようなる。死が、地域の中で、一人一人の生活の中で一部になる取り組みが、これからの時代必要です。
かけがえのない一人一人の命を、大切にしたい。
死に逝く人から
死に逝く人を前に、どのような状態にあっても「生きている強さ」を感じ「本当にこれまでお疲れ様でした。精一杯生き切りましたね。ありがとうございました」と、祝福と感謝の気持ちが自然と込み上げてきます。
多くの場合、数日から数か月の関りになりましたが、身体を保つ生命力が小さくなっていくその姿からは、何か無条件に、ただそこにいるだけで、静寂の中で太陽が沈み、朝陽が昇る様子を見ているような感じがします。
死に対して、どこか避けるような概念や観念があれば見直し、自然に分かち合うことで、生きていく力に変えていけます。それによって見送り方も、亡くなった方の捉え方も変わり、生き方も変わってくるのではと思います。
死を通して、生きているこの瞬間の尊さに気づき、今この瞬間を豊かに感じ過ごせる場所を創っていきたい。
そして、誰のためでもない、自分だけの人生を選択し、最期は思い残すことなく、自分で卒業式の扉を開けて逝きたい。
|
090-1772ー8714
8:30 〜 17:30
|